Friday, June 19, 2009

イラン、命を懸けて







「命を懸ける」。その本当の意味を僕は知らないんだろうと思います。



今日僕が知りえない命を懸けたプロテスト。たった今のイランです。

変化を請い、命を懸ける。
不謹慎かもしれない、真に歴史も、すべての事実も知れませんが、とにかく、心を動かされます。

僕らの親父の世代の日本の安保闘争のころも少なからずそうだったんでしょう。
ましてや明治維新の時には本当に命を懸けて、信じて挑んだのでしょうね。
僕が生まれて33年ほどになりますが、上記の時代のように命を懸けて何かを信じ、具現化するために突き進むということがあったでしょうか。恐らく長らくなかったでしょうし、これからも当分はないでしょう。唯一、考えられるのは北朝鮮による直接攻撃でしょうか。あってはならないことですが。


最近、遅ればせながらNHKの大河ドラマ「篤姫」を観始めました。
日本人として生まれてきたことに誇りを感じます。あの時代は真っ直ぐでした。武士道に始まり、ピシっとした気持ちよい規律からくる道徳と正義感が人々の芯に根付いていたということなのでしょうか。

日本人としての誇りを感じるとともに、今の自分の生き方を省みずにはいられません。


そのころ坂本竜馬が土佐とか藩だとかという域を超えて、「日本人」というコンセプトを普通に唱えたように。だとしたら今僕らは「世界人」なんだろうと。その意味で今更日本人ということにこだわるのはどうしたものかと思っていましたが。

しかし、やはりいくらグローバリズムが騒ぎ立てられようとも、否、だからこそ、自分のルーツというのが大切なのかもしれません。世界が瞬時につながる世の中になったからこそ、地域性から来る深み、土臭さ、人間らしさ、「歴史」、先達が築いた「精神」、「哲学」、「真っ直ぐな何か」、「ルーツ」というものが改めていかに大切であるかと重ねて考えされられます。


幸か不幸か「革命」を切に願わなければならない境遇にはありません。
ですが、あのイランの若者たちのように、安保闘争のころのように、坂本竜馬や西郷さんや大久保さんのように、革命を起こす勢いで事に取り組めば。まあ、ほぼ大抵のことは成されるのではないでしょうか。


信じて行動する。
「信じて」、そして「行動する」。
この言葉の意味を真に考える必要がありそうです。




さて、今週末も「篤姫」、続きをみますか。

「信じて、行動」


以上。

1 comment:

Anonymous said...

篤姫面白いですよね。
ドラマとして普通に面白いですが、歴史の勉強嫌いの私としては、ちょっとした楽しく勉強する時間になります。
大河ドラマは。