Sunday, March 28, 2010

もしも by ラドヤード・キップリング



もしもーラドヤード・キップリング
IF - Rudyard Kipling

リチャード・ブランソンの「ヴァージン流、世界を変える非常識な仕事術」という本を読んでいた。

本の最後にキップリングの詩が載っている。
熱いものを感じたのでここにシェアしたい。


KOMPAKTのニューリリースCOMPILATION CD78"WE ARE PROUD OF OUR CHOICES" 3曲目"Birds on Tree"などを聴きながら書く。


日本からリチャード・ブランソンのような世界に文化を奏でるビジネス・プロデューサーがどんどん出てくることを目指すべきだ。

日本人は世界にどのように新たな文化を奏でていくのか。

今このタイミングで、NHKが大河ドラマ龍馬伝を制作した意味。
藩に囚われず、他の藩の能力ある者と協同して成したように。
国に囚われず、世界人達と協同するコラボレーション力、行動力、人間力、そして想像力。

日本人はこれからどういう活躍をし、世界の文化発展に寄与するのか。





もしも
ラドヤード・キップリング



もしも、周りの人たちが一人残らず我を忘れ
非難を浴びせてきてもなお、自分を忘れていないでいられるなら
もしも、すべての人から疑いの目を向けられてもなお、自分を信じていられるなら
そしてその疑いの目にも我慢していられるなら

もしも、待てるなら、しかも待つことに耐えられるなら
あるいはウソをつかれてもなおウソというものにかかわらなければ
あるいは嫌われてもなお、相手を嫌いにならなければ
そして見栄を張らず、偉そうな口を利かなければ

もしも、夢を思い描き続け、しかもその夢にとらわれなければ
もしも、自分の頭で考え、しかも考えるために考えるようなまねをしなければ
もしも、輝かしい勝利と惨めな悲運の両方を経験し
しかも、どちらの虚構にも同じ姿勢で臨めるなら

もしも、自ら語った真実が、卑劣な者によって
愚か者を欺くために歪められて語られてもなお、耳をふさがずにいられるなら
はたまた、自分の自分の人生をかけたものが壊されるのを見てもなお
どこまでも耐えに耐え、自分の貫いてきた流儀でもとに戻せるなら

もしも、自分の勝ちという勝ちを
たった一度の”イチかバチか”の勝負に賭けられるなら
さらに、賭けに負けてもなお、最初からやり直せるなら
しかも、その負けに一切繰り言を吐かなければ

もしも、自分の気力、精神力、体力がすべて
とっくに枯渇していてもなお、いざというときに振り絞れるなら
はたまた、たったひとつ自分の中に残っている
鉄の意志からの「耐えろ」という声によって耐え続けられるなら

もしも、あまたの大衆と対話しながらもなお、自分の進むべき道を維持できるなら
あるいは、王侯貴族と会話しながらもなお、大衆的な感覚を持ち続けられるなら
もしも、敵からも愛する友人からも、傷つけられないなら
もしも、自分にとって誰もが大切と思いながらもなお、その思いに溺れないなら

もしも、長距離走の最後に待ち構える最後の地獄の一分を
全身全霊をかけた60秒間にできるなら
お前のものになるのはこの地球、そして地上にあるものすべて
そして何よりも、わが息子よ、それでこそお前は一人前の人間だ

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